ご挨拶

『からだプラス姫路』院長 髙橋康祐でございます。 
当院は問診(カウンセリング)により現在の症状や気になる事をお聞きし、分かりやすく解説します。
『毛細血管スコープ』を使い毛細血管を御覧頂き現在の健康度をチェックして患者様お1人お1人に合った施術プランを作成していきます。
誰でも持っている『自己免疫力』『自然治癒力』を最大限に生かして楽しく生活できる様に導いていきます。
頭痛・肩こり・腰痛などの症状も内蔵の働きが何らかに抑制されているケースが多いと言われております。 各臓器も健康な状態に改善出来る様に導いていきます。
『超短波』でカラダを温め、『酸素』を取り入れ、『電子』により血流を良くする各マシーンと合わせてカラダの動きを根本から改善していきます。
施術の時間はカウンセリングを含め 40分~50分です。 マシーン療法時間は各20分~30分です。
『からだプラス姫路』は、 全くカラダに負担の無い整体です。 お子様からお年寄りまで安心してお越し下さい。

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昨日(10月30日)
『心のサポーター養成講座』
受けて来ました
場所は姫路市保健所
わが家から歩いて直ぐでした

目指すところ
『メンタルヘルスや心の病気に関する正しい知識を持つ』

色々、教えて頂きました
ファーストエイド
(初期支援)
初めの関わりの大切さ

重要な事は『気づく』事
目の前の人が悩んでいるのか
辛い時間を過ごしているのか

気づく為には
アンテナを高く広く
目と耳と空気感を大切に
例)落ち着きがなくなった
例)SNSの投稿が減った
例)遅刻が増えた
例)怒りっぽくなった etc
『どうせ私なんか』の言葉⚠️

共通点は
『いつもと様子が違う』

『気づいて欲しい』サインを出しているケースが多い
・・・気づいてあげたい

◎気づいたら『声をかける』
挨拶から始まり、
私なりの声のかけ方や話題
話す時の顔の表情
(自然の笑顔の練習)
ボディランゲージ
相手が話してくれたら
『話を聞く』事が大切
手を止めて
カラダを相手に向けて
その時間は全て相手の為に
最後まで聞く(沈黙に寄り添う)
ここからは我慢が必要
相手が気持ちが楽になる様な聞き方を身につける

 余談ですが私は結婚当初
嫁さんの話を最後まで聞かずに
『今日はココまで』
『話は結論から言って』etc
今思うと凄く酷い対応だった
(やっと気づいたんかい😞)
最近は最後までシッカリ聞いている・・・つもり

食べ物の話題はキャッチボールしやすいらしい
相手の故郷の食べ物とか
好きな食べ物とかを聞く習慣をつけよう

相手の意思を尊重して私の考え方の押し付けをしない
 私がよくやる失敗例
私はストレス無く毎日が
楽しくて仕方ない
そうなる為の考え方とかを
直ぐに話してしまう
相手にとってはどうでもいい話
(あなたはそれが良かったかも知れないけど私はあなたとは違う)
こう思われてしまって終わり

理想は話の聞き役に徹して
相手が話しながら幸せになれる考え方とかを見つけられたら最高
それが出来たら一緒に喜ぶ
これも当たり前だけど出来ていなかった

勉強の後は楽しい
『グループワーク』
2人1組になり
話し役と聴き役を交代しながら相手の良さを話し合う

私の課題は『話を聴く』
私の相手役の女性
凄く聞き上手で私は調子に乗ってズーッと話してしまった
途中で気がつき
『交代しよう』って言ったけど
『あなたの話の方が面白いから話続けて』
面白い話をする学習じゃ無いのに
でも不思議と話しながら
『話を聴く』勉強になりました
私の勉強はテキストを見ずに
講義とグループワーク中心
相手にするのは感情のある
生身の人間だから
その場の、その時の
相手の動きや呼吸を大切にしたかったから
テキストは家に帰ってからの復習材料
今、わが家でテキスト見ながら復習しています📝

チョット勉強された方なら
(勉強した事は無い方でも)
『そんな当たり前な事』
と思われそうな研修でしたが
新たな発見や新鮮な感動がありました
もちろん反省と行動の見直しも
そんなこんなで、アッと言う間の3時間でした
『11月からは、NEW髙橋』
...

9月の思い出 ⑥
(29日)
『田中種男先生 講演会』

『人生96歳 楽しんだもん勝ち』
いくつかメモして来ました
私は、姫路にいて北陸に行くまでの数年間『田中先生』と一緒に仕事させて頂きました

3年前、『脳梗塞』で入院
でも、そこは田中先生
シンドイ入院生活も楽しんで
見事に復活

◎ 病院内でも大きな声での挨拶を心がける
(みんなに顔を覚えてもらえる)
(話しかけてきてもらえる)

◎ あまり美味しくない食事でも
ニコニコ食べて
『美味しかったよ、ありがとう』
のメモを置いておく
次から食事内容は変わらなくても色んな方々から声をかけてもらえたし優しくしてもらえた

声掛け(人)= 肥かけ(木や草)

今回の講演会のテーマの1つ
『延ばそう 15年の命』
毎日
1、歩いたり泳いだり(+6年)
2、おしゃべりや歌 (+4年)
3、ニコニコ仲良く (+5年)
(ピンピンコロリ) 計 +15年

あいさつは、
人間の幸せ作りの特効薬

あ あかるく元気な声で
い いつもさわやかに
さ さきに気持ち良い声かけて
つ つづける笑顔が幸せ作る

ムカデの話
ある人がムカデに
『いつも上手に歩くねぇ
後ろから3番目と5番目が更に
スムーズになれば最高だね』
ムカデは歩きながら3番目と5番目が気になって、、、、、、
考え過ぎて死んでしまった
・・・クヨクヨしない。悩まない

みんな100点
80点の人は80点満点だと思えば良いし
どうしても100点欲しければ
他の人に20点分助けてもらって
100点に✨
(更なる努力を。
  とは考えなくても良い)

奥さんにも毎日
『あいさつ』『投げキッス』は
かかせなかったらしい
『愛してるよ〜』
恥ずかしがっていた奥さんが
半身麻痺で入院した時
先生の顔を見たら
『投げキッス』してくれる様になったとの事
日本の男は『投げキッス』や
『ハグ』が苦手
田中先生も私も日常茶飯事
楽しきゃ良いやん✨
嬉しきゃ良いやん✨

『人生、楽しんだもん勝ち』

以上が講演を聞いた私の感想

私は、これからも田中先生の背中を見ながら追いかけながら楽しんで行きます🎶

講演会 アッと言う間の2時間でした

田中先生
ありがとうございました👍
...

3月30日(土) No.2
捜索隊員のCodyさんに会う事が出来ました
この時点での私の旅の1番の目的は
Codyさんに会って捜索してくれていた事へのお礼を直接言いたい事
夕方、ホテル『トラベルロッジ』
に到着して直ぐにCodyさんに連絡したらホテルまで来てくれました
彼の車アコードの後をレンタカーでついて行きました
彼はボランティアでの捜索隊員として私が遭難した時からずっと探してくれていました
私の遭難直後から私の嫁さんともラインで繋がり
その時その時の私の創作状況を細かく伝えて嫁さんを励ましてくれていました

彼の家に招待してもらい
我々2人の動いた足跡
私が1人になって動き回った足跡を地図で教えてくれました
ストックを使っていたのは
我々2人だけだったみたいなのでストックの跡とその周りの靴跡で相棒と私の足跡を見つけ出し
我々の足跡を歩いて追い掛けて探し回ってくれていたみたいです

2日目の夜6時頃に相棒が見つかりヘリコプターにより救助
地図で確認すると歩く方向は間違っていなかったみたいです
1筋違ってたみたいだけど
私が1人になってからは、
私はとんでもない場所に向かって歩いているのが分かりました
トレッキングの上級者コースを少し外れた険しい山を歩いていたみたいで
まさかあんな所まで行くとは捜索隊員の方々も考えられ無かったそうです
すぐ近くまで足跡を見つけていたのに1度引き返してしまった事を残念がっておられました
『もっと先に進んでいたら
もっと早くあなたを救出出来たのに』
それでもトレッキングされてて私を助けてくれた女性と同じ頃に私の足跡を見つけて向かってくれる所でした
私としては感謝しかありません

私が行き着いたのは、ザ・ウェーブの翌日に2人で行く予定だった
『バックスキンガルチ』
の1番奥だったみたい
『髙橋さん、1人で行っちゃってたの?』
って冗談を言われました
私も
『夜じゃなくて昼間なら良かったよに』
つい冗談を言ってしまいました

23日と24日の2日間での歩数をスマホで見ると約8万歩超えみたい👀
『火事場の馬鹿力』じゃないけど
健康な時でも歩けない距離

Codyさんの奥様手作りの
『クッキー』
メチャクチャ美味しかったです
お土産にも『クッキー』頂きました
凄く良い人
バイクで私を助けてくれたのは、Codyさんの仲間の
『 ジャスティン』さんと
『ダレン』さん
そして、多くの人が他の場所で私を探してくれていました
Codyさん達、捜索隊員
3月23日(土) 0人
3月24日(日) 15人
3月25日(月) 25人
他にもたくさんの捜索隊の方々も私を探してくれていました
捜索にあたつてくれた
ヘリコプターの数は聞き忘れました
凄い数だったと思います

最後にCodyさんから言われました
『決して迷惑をかけたなんて思わないで下さい
スミマセンなどとは思わないで下さい
あなた達の今回の行動は他の観光客でもあり得る事
それが少しでも無くなる様に考えてる参考にしたい
救出方法ももっと充実させたい
そのために今日は協力してもらいました
ありがとうございました』
と言われ
何と良い人
何と良い人の集まり
ここでも泣きそうになってしまいまし
我々のホテルまで先導してくれるみたい
『私は日本のクルマの大ファンですす。このクルマはアコード
車庫の中にはレクサス』
日本のクルマ優秀なんですね✨

本当に
ありがとうございました。
...

3月25日(月)
岩に寄り掛かってウトウトしていた私は朝日と共に歩き出しました
頑張って歩いても、この日は
60メートルも歩けませんでした
昨日までのカラダの震えが倍増して来ました
口はガタガタ言って閉まらない
歩いてパワーを無くすより
ヘリコプターを待つ事に専念しました
ヘリコプターは近くを沢山飛んでるのは分かるけど、
音だけで私の視野に入って来ない
寝たらアカン
そう決めてたのにウトウト
生きて帰るって思い続けたが
もうダメ、無理
スマホすら触るのがやっと
全力で嫁さんとのラインを探し
今までの感謝を言う最後のチャンスと思い
『記子さん ありがとう』
ってラインした
嫁さんのおかげで楽しい人生でした
私が死ぬ時は大騒ぎして
『死にたくない』って言って
みんなに迷惑かけるだろうと思っていたのに
嫁さんに感謝したら、何か不思議と落ち着いて死を待てました
誰も近くを通らない
完全に寝てしまっていたと思います
何時間たったか分からないけど犬の吠える声が聞こえてきて目を開けました
大きな犬を連れた女性が立っていて
『ハロー』って言って立ち去ろうとしたので最後の最後の力を振り絞って
『ウェイト』
『ウェイト』
『ヘルプ・ミー』
カスレた声で言ったら
聞こえたみたいで戻ってきてくれました
俺が動けない事
3日間歩きまわった事を言いました
ウォーター?
フード?
って聞かれたから
飲み物は1日以上飲んでいない
食べ物は2日以上食べていない
と伝えたら
新鮮な水1リッターと
りんご、
ゆで卵2個
クッキーを私に渡して
『ここで待ってて』
『何があってもここから離れないで』
『歩いて捜索隊を呼んでくる』
って言って去って行きました
しばらくして2台のバイクが来ました
捜索隊の方々も私の足取りをつかみ私の所に向かおうとするタイミングとトレッキングの女性が飛び込んで来たのと同じ位だと聞きました
バイクが早く来てくれたのに納得しました
私を確認してヘリコプターを呼んでくれました
ヘリコプターまでバイクのお兄さん2人が私の両側から持ち上げて抱え
ながら運んでくれました
私の左足は当たっても痛い
宙ぶらりんでも痛い
これは歩ける訳ないと思った
ヘリコプターで操縦士と2台のバイクのお兄さんと私の4人で救急車へ向かった
ヘリコプターから降りる時も
私は座っているだけで
捜索隊員の方々が私をタンカーに乗せて救急車に運んでくれました
救急車で救急病院へ
後で聞いたら、私を助けてくれた女性はトレッキングしてて、
たまたま私を見たらしい
女性の名前が知りたい
連絡先を知りたい
私はそう思いました
救急病院での検査結果
血圧と肝臓そして腎臓に問題ある
血圧は休んでいたら戻ると思う
肝臓は休養で大丈夫
腎臓は壊れる寸前と言わました
トイレの回数と量で
私自身『腎臓やられたかも』
と心配していました
同時に人工透析の事も頭に浮かびました
しかし入院費用の事が心配なので
『保険での全額負担が分かってから入院する』
と言ったら
『腎臓が限界まで来てるので早く専門病院に入院しましょう』
救急病院の先生に言われたのに
なかなか首を縦に振りませんでした
『カラダが第1、支払いはそれから考えましょう』
と言われ
『専門病院の救急車が到着しましたよ』
そこで嫁さんに電話
状況を伝えたら
『カラダが第1、今は専門病院へ行って』
私は入院を選択しました

セントジョージ病院、
新しく大きな病院でした
看護師さん達みんなで私を励ましてくれました
ベッドで寝れる幸せを感じました
皆様に助けられて生きていく事が出来ました
生かされたからには何か使命があるのかも知れない

◎ 写真は私が捜索隊に助けられた瞬間です
捜索隊員の1人が私の様子を見て励ましてくれて
もう1人がヘリコプターと連絡してくれた後に
この写真を撮られたみたいです
私にとって大切な写真です
...

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